青年会議所は、40歳までの青年経済人が明るい豊かな社会を築くために集う、まちづくり・人づくり・地域づくりの団体です。

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理事長所信

  • 一般社団法人旭川青年会議所
    2008年度 第58代理事長
    松倉 智幸
  • 2008年度スローガン

    Fun to Think!

    伝染力で拡げよう

    明るい地域、ひとづくり

夢、お持ちですか?

皆さんの心に、ひとつの問いかけをしてみたいと思います。皆さんはJCにおいての夢はありますか?

目標と言ってしまうとそれは堅苦しく、義務感を伴った重い職責に感じるかもしれません。ここで言うのは「夢」です。そう、事業計画に基づいた活動の類ではなく、もっと純粋に、心の奥底から湧き上がる想念的な理想のようなものです。お持ちでしょうか…。

たとえばそれは、数年後のJCのあるべき姿であったり、自らのポジションとその地位を得たときのビジョンといった大きなものでも、あるいは日々の活動においての疑問から生まれる自らの考えであったり、苦手なタイプとの円滑な関係を想像してみたりといった普遍的なことでも結構です。「私はこうしたい」という夢、お持ちでしょうか…?

私はお持ちであると思っているんです。「こうしたい」という思いを持ってはいるものの、種々の要因によって、それをどこかに押しのけてしまっている。そんな遠慮がちな気持ちが、個々の素晴らしい能力を充分に発揮できていない現状になっているのではないかと思っているのです。

私の身近な話で恐縮ですが、ホンダの創業者である「本田宗一郎」はそんな小さな夢から「世界のホンダにする」と大きな夢を実現させた成功者の一人でした。

本田宗一郎が夢なき起業家だったら

本田宗一郎は、明治39年、静岡県磐田郡光明村で鍛冶屋の長男として生を受けました。人より好奇心が旺盛だった氏は、父親の見よう見まねでへんてこりんな造形物を作ってみたり、夜中に家を飛び出し自転車を漕ぎ、遠く離れた練兵場まで曲芸飛行を見に行ったりと、やんちゃぶりを発揮していたようです。

そんな氏が自動車と関わりを持ったのは、16歳の時、「アート商会」という自動車修理工場の丁稚(でっち)に入ってからでした。当時の丁稚といえば、ろくに仕事もさせてもらえず、雑用ばかりさせられるような奉公社会でしたが、氏はただ一人だけ、6年後に暖簾分けの独立を許されました。設立当初は二人しか居ない会社でしたが、9年後には50名もの社員を持つまでに成長し、同時に「東海精機工業(株)」というピストンリングの製造会社を興します。しかし、ピストンの開発も学問的な壁に突き当たり、大地震による工場の倒壊もあって現在のトヨタに株を譲渡、自らは現静岡大学の聴講生となり、研究に身を投じました。ですから、現在のホンダの前身となる「本田技術研究所」を興したのは昭和21年、氏が39歳の時、後発も後発、遅咲きのスタートだったのです。

しかし、それからの活躍は皆さんご存じの通り。当時は存在しなかったオーバーヘッドバルブ方式の4ストロークエンジンを開発し、スーパーカブというオートバイをシェア80%まで成長させ、昭和39年には当時オートバイレースの世界最高峰と言われていた英国「マン島のTTレース」で上位5位まで独占するなど、夢のスケールも拡大するなか、次々とそれを実現させていったのです。

本田宗一郎はよく「天才」と称されますが、氏の盟友であり当時副社長の「藤澤武夫」が語るには、「本田は決してひらめき型の天才ではなく、物事の真理をじっくり追求し、仮想の理論から道を切り開くタイプ」だったようです。「得手に帆あげて」とは本田宗一郎がよく使った言葉ですが、最初は鉄のガラクタ作りでも、その先に描いた夢が最良のピストン製造となり、やがてはエンジンと大きくなるように、氏の夢も得手な分野で、儚いものから壮大な夢へと変わっていきました。では、氏が夢のない人だったら今日のホンダは存在していたでしょうか。義務的、事務的に淡々と職務をこなす一職人だったら、現状のような自動車産業の発展を成し得たのでしょうか。

仕事においてもJC活動においても、夢を持つことは楽しいことです。どんなに小さな夢でも、朧気な夢でも、夢を持つことで、自らの意識とは関係なくその手足が動き始めます。口を開いてしまいます。「あれ? 私ってこんなに一生懸命やるはずじゃなかったのに」と思っていても、知らず知らずに歩み出してしまっているのです。「自ら主体者となれ」と言われると厚かましく思ってしまいますが、知らずのうちに「私」がのめり込んでしまっていたら、それって楽しくないですか。

楽しさの伝染…。まず、みんなで夢を言葉にしてみましょう。会議などの議論の場で、臆することなく「私ならこうしたい」と言ってみましょう。

徳目の高みを目指し、魅力ある人間に

日本の青年会議所は、戦後まもない荒廃した社会のなかでその産声をあげました。食べることもままならず、資金も資材もないなかで、ただただ明日を生きるために必死であった時代に「日本の復興は我々の手にかかっている」と、経済復興、平和維持、国民主権の確立のため立ち上がったのです。私はその時代に生きた人間ではありませんが、当時は「空襲による火災等によって家屋が焼け焦げ、悲しみに浸っている間もなく、なんとかバラック小屋で急場をしのいでいる。しかし、隣家を見てみると同じように家屋は倒壊し、住む家もなく子どもたちが寒さに震え泣いている…」。そんな状況を目の当たりに、なによりも隣家の復興に手を貸しているというようなボランタリー精神が息づいていたと想像します。社会を創るというのはつまりそういうことで、崇高な理想や理屈だけを並べ立て、その実、内容が伴っていないのではなく、身近なところから、身近な人からそのボランタリー精神を捧げていく。その自己犠牲の精神が奉仕であり、身近なところで自己犠牲を払うこともできずに、我々の理想は成就しないと思っています。

私たちの活動におきかえてみるならば、家族への感謝、所属企業への感謝、先人たちへの感謝、そしてメンバー間へのホスピタリティ精神を持つことも重要なことだと考えています。何かをしてもらったならば「ありがとう」と感謝の意を伝える。迷惑をかけたなら「ごめんなさい」と謝罪する。困っていたら即座に助けてあげる。常に相手の都合を考え、そのための配慮を欠かさない。一見あたりまえのことに思えますが、そういったことをきちんと表現していくことで良好な人間関係が構築され、やがては友情や愛情の輪となって楽しさが伝染していくと思うのです。儒学の祖「孔子」が言いました。「至誠は広々として深厚であり、しかも遥かな未来に渡って限りがない性質を持っている。そして意識的に動かすことなく相手を変化させ、また意識的に働きかけることなく、自ら目的を達成する力を持っている」、と。

私たちは先人たちが築き上げた素晴らしい事業の数々を有しています。しかしその素晴らしい事業も、使う人がその使用法を間違えてしまったら、形式だけにとらわれてしまったら、空虚で粗末な結末を迎えてしまいます。高い徳行を実践する私たちが、情熱を持って取り組むならば、必ずその事業の達成に加速度を増して突き進むことができるでしょう。

たとえば、スタンウェイのような最良のピアノであっても、名匠の手がなくてはベートーベンのソナタを弾き出すことはできません。あるいは銃の善し悪しで勝利を勝ち取ることができるとすれば、なぜナポレオンはミトライユーズ式機関銃でプロシア軍を倒せなかったのでしょうか。活力をもたらすものは精神です。精神がなければ最良の装備も何ら利点になることはできません。

日本の未来のために今成すべきこと

 組織が「人」で構成されている以上、その根幹をなすものは「人」であり「思想」です。もちろんそこに属す全ての人々に「自由」「平等」「権利」を等しくもたらすものは「規律」や「ルール」であり、その両輪を正しく機能させるということが「個人の自立性と社会の公共性が生き生きと協和する社会」であると思います。我々青年会議所は、かねてからこのような理想的な社会の実現を目指して運動を展開しておりますが、相反するようにメディアから垂れ流される日々の凶悪犯罪、とりわけ子どもたちの無防備な過ちに、明るい日本の未来を思い描くことができないのは私だけでしょうか。なかでも、私がもっとも忘れられないのは2003年、長崎佐世保の小学校で起きてしまった悲惨な事件です。当時6年生だった女子児童が、ためらいもなく友人の喉にカッターナイフを差し向けるといった事実に未だ真実味を感じることはできません。まるでホラー映画に登場するワンシーン、あるいはゲームソフトのコンテンツの一部といった絵空事にしか思えないのです。

 先日、たまたま忘れ物を取りに自宅へ戻っていたら「ろうそく出―せ~出―せよ」と懐かしい声が聞こえてきました。数十年も聞いていなかった懐かしい伝統文化に心を躍らせた私は急いでろうそくを探したのですが、用意がなく菓子を差し出してあげました。すると「ありがとうございます」と様子を伺うように一人が言い、つられるように、はにかみながらも私に感謝の気持ちを伝えてくれたのです。その時に受けた私の感動や、その後の晴れやかな気持ち、そして刹那に感じた子どもたちとのつながり… 今でも忘れることができません。

先の6年生の児童と、はにかんで笑った近所の子どもたち… 一体何が違い、どこから変わってしまうというのでしょうか。私たちは、このような問題に真剣に取り組まなくてはなりません。家庭、学校、地域それぞれの役割として何が必要なのか、またそれぞれが協力し何ができるのか。実効性の高い教育を、その根拠を、生み出していく時が来ていると感じています。

青年経済人としての使命

 経済活動を基盤とする私たち青年経済人の最たる関心事は、少子高齢化問題ではないでしょうか。地域の人口構造の変化は産業構造、社会保障政策、さらには国民のライフスタイルまでさまざまな影響を及ぼします。日本経済新聞社が「北海道未来総合研究所」に委託した調査によると、2030年の北海道は2000年より104万人減少し、464万人になると試算されました。しかも、65歳以上の高齢者が全体の35%となり、その影響によって道民一人あたりの社会保障負担は倍の86万円(年間)となってしまうようです。ここ旭川市は道の平均より2ポイントほど高い高齢化率となっておりますし、利便性の良さや医療機関の充実を理由とした過疎地からの流入を考えると、それ以上の負担を覚悟しなければならないと言えます。この少子高齢化の解消を考えたときに、その施策はさまざまで、またその内どれか一つを実行すれば良いというものではなく、むしろ多元的にその施策を考えなければいけません。ただ、有効な手立てを見いだせない現状のまま進んでしまうと、国の施策に翻弄された挙げ句、ただ切り捨てられ、住民負担の増加を招くばかりか経済活動さえもままならなくなってしまうのです。

私たちは昨年2月の公開例会において「ものづくり戦略モデル」の提案をしましたが、今、旭川と同等規模の自治体で豊かな財政基盤を有しているのは製造業が盛んなところです。製造業は地域に雇用の創出を招くほか、法人税や住民税といった安定かつ高い税収をもたらすこととなります。たとえば、四国の高松市は33万人程度の人口ですが、自治体の税収は旭川市のおよそ倍額です。財政力指数という「法人税」「住民税」「公共施設の使用料」「行政サービスの手数料」といったいわゆる自主財源を示す数値は旭川が「0.51」に対して高松は「0.85」と大きな差異があるのです。あとの財源は交付税や市債によって賄っていますが、手遅れになる前に有効な施策を講じていかなければなりません。

一方、道外からの移住を積極的に受け入れ、少子高齢化の解消を目指す自治体も存在します。宗谷管内の浜頓別町です。本町の「豊(とよ)寒(かん)別(べつ)小学校」は、生徒17人のうち9割近くが道外出身者で、2005年までの10年間で59人の生徒が入学したようです。地域の過疎化によって廃校の危機に直面した際、保護者らが「地元の学校に子どもを通わせたい」と立ち上がったのがきっかけで、移住者には200坪ほどの土地を無償提供する誘致策が奏功しているようです。他にも、「中国の食糧難を想定した農業の改革」やそれに伴う自給率の向上、「自治体の合併推進によるコストダウンと効率化」「大胆な子育て基金の創設による多子化の奨励」などその施策は数多ある中で、私たちに相応しい取り組みはどのようなものなのか、真剣に考えていかなければならないと感じています。

今こそ観光振興のための一歩を踏み出そう

 旭山動物園の年間入場者数はついに300万人を超えました。その人気に伴い、旭川市の観光客入れ込み数も年間700万人程度と拡大しており、この機に観光促進に力を注いでいくのは至極当然の流れといえます。

 よく北海道の観光は「自然一流、施設二流、サービス三流」と揶揄されますが、毎度のように大型バスで旭山動物園に乗り付けわずか数時間で土産店に移動、お決まりの北海道グッツを購入させ、層雲峡の温泉で石狩鍋といったマンネリツアーで果たして、この人気は続くのでしょうか。北海道はよく沖縄県と比較されますが、その沖縄はここ10年で6割も増加、しかもレンタカーで自由に周遊するリピーターが増えています。ライフスタイルの多様性に幸福度の価値を見いだす現代において、エージェント任せの画一的なパッケージツアーに安穏としているようでは、九州の二の舞を自ら演じているようなものです。今後の更なる観光振興のためには、顧客の求める多様性に的確に応えるメニューづくりや人材教育といったソフトの充実、そして地域ブランドづくりやアジアを中心とした外国人観光客のためのハード面の整備が急務となります。たとえば、2006年の旭川にはおよそ1万人の外国人観光客が宿泊しておりますが、ホテル以外では中国語はおろか、英語の対応さえ整備されていません。看板や標識でさえも、です。皆さんの中にもハワイやグアムに行って、カタコト英語に日本語で返され、逆に恥ずかしい思いをされた方もおられるかと思いますが、外国人観光客にとって自国の言語は最良の安心感を与えてくれます。せめて飲食店のメニューには英語、中国語、韓国語など三カ国語を揃える、温泉や露天風呂で外国人の入浴拒否をしない、くらいはしておきたいものです。そんな取り組みを個々で行うのではなく、町を挙げて一斉に取り組む。私たちだからこそ、可能なことですし、それを理解してもらえなければ、町全体に観光客の経済効果を波及させる、中小の企業や商店に恩恵をもたらすことなどできるわけがありません。

住民参画型社会を進める前に…

 日本の青年会議所では、古くから社会開発事業に取り組んで参りました。何もなかった創成期、物質的な豊かさを求めた高度成長期を経て、「街に誇りを、心を豊かに」をスローガンに、各地で「祭り」「スポーツ」「音楽」をテーマとしたある種のイベントを繰り広げてきたのです。それはその時々の時代に呼応したものであり、そういった取り組みがJCの存在感を増幅させ市民に輝きと活力をもたらしたのは紛れもない事実であり、我がLOMにおいても、「烈夏七夕まつり」「アイスアートフェスタ」など素晴らしい事業がそれぞれ20年近くも開催を続けています。しかし、この20年足らずの間に、社会ではさまざまな変化の波が押し寄せてきました。バブル経済の崩壊、国や自治体の財政の逼迫、国民のライフスタイルの変化、そういったパラダイムシフトのうねりが、私たちに「新・旭川JC宣言」という新たな運動指針を策定させたのです。現在では「社会開発事業」という名も消えゆき、変わって「住民参画型まちづくり」という運動が、私たちの重要事業となっています。

LOMにおいても、この2事業に「旭山動物園マイスターボランティア」を加えた3つの事業を「住民参画型社会の実現」に向けたツールと位置づけ、毎年その駒を進めようと奮闘しているところであります。しかし、時代の変化に適応し、運動の主体を移行しようとしているのにもかかわらず、こと「社会開発」から始まり継承されてきた事業において、思うように住民参画が進まないのはなぜでしょうか。「まちづくりマネジメントシステム」が有名無実化されているのはなぜでしょうか。その委員長職に希望者が殺到しないのはなぜでしょうか。20年という節目を間近に控えた今こそ、私たちはこの真理を追究すべく、原点に立ち返った議論を進めなければならないと考えます。それは事業の是非を急くような安易なものではなく、「参加する側、見る側にとっての魅力とは何か」「これまでの活動は充分であったか」「企画から実行までに充分な思案をしているか」「時代に即した内容になっているか」など考えられるあらゆる課題について、充分な議論が必要なのです。ともすれば、「ツール」というロジックに惑わされ、本来失ってはいけない「事業の魅力や魔力」を置き去りにしてきたのかもしれません。20年という歴史が、「今年も当然あるものだ」と手法論ばかりに目を向かせたのかもしれません。そして何より考えていただきたいのは「私たち自身が楽しんでいるか」ということです。そのことに、万一自信が持てないのなら、楽しさが伝染するわけもありません。私たちが楽しめないものを市民が参画して楽しめるという道理は通らないのです。

「旭山動物園マイスターボランティア実行委員会」との関わり

 「旭山動物園マイスターボランティア」は昨年「制度」から「実行委員会」と名称を変え、名実共に真の住民参画型社会の実現へ向け進化を遂げました。財界の名誉職でもなく、外郭団体の天下りでもない、本当に何の肩書きも持たない一市民が会長として組織を束ね、自らもボランティア活動に勤しむこの実行委員会組織は、「地域社会を支える住民参画システムの構築」という2000年代運動指針に則した、まさに大きな成功事例と言えるでしょう。ジョン・F・ケネディは「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」と歴史に残る名演説をしましたが、ピーク時には1日3万人以上の来園者が訪れる旭山動物園において、無報酬でサポートする「市民の私設応援隊」が存在することは旭川市にとっても大きな誇りであり、将来のまちづくりを描くうえでも明るい希望をもたらすものと思います。しかしながら、実行委員会にはさまざまな課題も山積しており、完成型と呼ぶには尚早です。「実行委員の拡充」「円滑な運営を促進するためのルールづくりとサポート体制の整備」「ドーセント制度を確立するためのシステムづくりと知識の集積」「公益団体としての責任の明確化と意識浸透」などなど、あくまで市民が主体となって築き上げていただきながらも、私たちが培ってきた知的財産や人的財産を投入し、そのサポートに務めていかなければならない段階なのです。一個人として関わるボランティアは、ボランティアをすることが目的となってもよいと思います。「社会に貢献したい」と純粋な気持ちで参加しているからです。ただ、組織においては目的や理念、目標を持つことが求められます。そうでなければ、旭山動物園に必要とされないからです。

 2008年は実行委員会の事務局として、そのサポートに取り組んで参ります。そして、自らも広い視野を持てるよう勉強して参ります。そう、まちづくりに関わることの楽しさを伝染させるために。

LOMの活動の基盤は組織です

 組織の運営は対外活動と同等に重要な役割です。JC三信条が「修練」「奉仕」「友情」という理念で構成されているように、民草のリーダーとして相応しい人格と、活動の基盤となる優れた組織を併せ持たなければならないからです。公益社団法人への移行に伴い、ますます私たちの存在意義とその資質が問われる中、親睦会を始めとした強固な友情を醸成する機会を変わらず残しながらも、より機能的な組織へと進化しなければなりません。

【会員研修】

 先にピアノや武器の話を用いて研鑽の必要性を説きましたが、世界に宗教哲学があるように、武士に武士道なる口頭伝搬(こうとうでんぱん)が存在したように、私たちは永続的に自らの研鑽に努めなければなりません。JCは体験型かつ実践型の学舎です。公益団体として模範的な振る舞いに終始しなければならないのはもちろんですが、同時に企業のリーダーとして相応しい人格を養わなければならないと思うのです。私たちの真価が問われるのは、むしろ卒業してからなのかもしれません。JCで培った経験を持って、それぞれの分野で活躍するためにも、今こそ明鏡止水に研鑽に努め、徳目の高みを目指していきましょう。

【会員交流】

 私たちは昨年、公益社団法人への移行準備のために、親睦を目的とした事業をLOMの本活動から除きました。しかし、私たちの強固な友情はこういった親睦活動がなくては育めないものであり、個々の人間性を認め、同時に思想・哲学・価値観・愛情表現など互いに異なる多様性を受容して初めて、築き上げることができると思うのです。LOMの活動がもしも作業だけをして、ろくに話もせず、そのまま散会するような風潮になってしまったら、あなたは楽しく参加できますか? もしも激しい議論を戦わせ、互いに解りあえないまま散会になったら、次の会議に来づらくなりませんか? 組織が人で構成されている以上、大切なのは充分なコミュニケーションです。コミュニケーションが有機的な人とのつながりを実感させてくれるのです。

【渉外活動】

 LOMは地域に主眼を置き、「明るい豊かな社会の実現」を目指して運動を展開しておりますが、同様に北海道地区協議会は「北海道」、日本青年会議所の各委員会は「国家」そして「世界との平和」を目指して日々、運動を展開しております。この活動は誰かが勝手に行ってくれるものではなく、やはり私たちもその一員となって協力し、共に世界を創り上げていかなければならないのです。そのための支援体制が言わば渉外活動と言えます。本年も、日本JCや北海道地区協議会に優秀な人材を輩出し、全国4万人のJayceeと共に公益運動を展開して参ります。そのための調整役として、そして出向者の円滑で有効的な活動を支援するため、LOMをまとめ価値観の共有に努めていただきます。

【広報活動】

 LOMの有益な活動を内外に受発信する役割が広報であり、この活動が組織内部の価値観の共有や対外的な存在感の確立に大きな影響を及ぼすのは言うまでもありません。数多ある情報を整理し、受け手の性格に合わせた的確な受発信を行うことで、内外共に深い理解と共感を与えることができるのです。発信する際にはスピーカーの向きやスペックに問題がないか、最新のデジタルで流すか、それともアナログが良いのかを検証。受信に至っては受信機が壊れていないか、バンドの領域は足りているのか、偏りはないかを検証し、新年度のスタートを切る前に、しっかりと議論を進め、万全の体制を持って取り組んでいただきたいと考えております。こういった取り組みを真剣に実践することで、私たちの会員拡大にも大きな進展が見られると思います。事実、昨年もその効果が表れたのですから。

【総務・財務・公益社団法人への移行】

 委員会という組織形態を導入し、それぞれが専門調査機関としてその機能に集中・特化できるのは総務委員会のおかげです。総務が組織の潤滑油としてサポートに徹してくれるからこそ、余計な心配もせずに職責を全うすることができるのです。また財務も同様で、杜撰な管理体制が蔓延しているようだと、私たちは公益社団法人の移行どころか、法人格自体を剥奪されてしまいます。総務・財務委員会は、その使命と責任を全うするため、さまざまなルールの遵守に務め、また風紀委員会としてもその励行に力を注いでいかなければなりません。時には嫌な立ち回りを演じていかなければならないからこそ、その言動や表情には細心の注意を払い、ホスピタリティ精神溢れるメンバー間との実務交渉を実践してほしいと願います。ただ、甘やかすのとホスピタリティを持って接するのとは意味合いが違います。特別な要因がない限りは、一定のルールのなかで職務をこなせるよう私を含むメンバーを導いてほしいと思います。

 公益社団法人への移行はいよいよその実施時期が近づいております。昨年、賢明に調査していただいた関係メンバーの苦労を無駄にすることのないよう、適正かつ迅速にその準備と啓蒙に努めていただきたいと思います。

【大会誘致の検討】

 昨年は「新・旭川JC宣言」の達成のツールとして、大会誘致の可能性を示唆しました。それを受け、本年もメンバーの皆さんと一緒に、この可能性について議論を深めて参りたいと考えています。大切なのは大会誘致ありきではなく、大会誘致がLOMにどのような効果をもたらすのか、であります。全国大会で副主幹としてお世話になった全道の各地青年会議所への恩返し、平成2年から18年間も主管してない現状、認証番号7番というチャーターLOMとしての誇り、そのような歴史観を共有しながらも、メンバーの総意とLOMの現状を大切にし、慎重に議論を進めて参ります。主体者は執行部ではなく、メンバーの皆さんです。担当委員長を始めとする役員全員でサイレントマジョリティを汲み取って参ります。

会員拡大は全メンバーによる全体事業とします

 2005年の年度末、74名という危機的状況から、なんとか104名という会員数を確保している現状ではありますが、私たちの目指す2000年代運動指針や山積する社会の現状課題を解消するためにも多くの同志が必要です。本年も大きな飛躍を遂げるべく、目標を高みに置き、全メンバーが一丸となって会員拡大に取り組んで参ります。と、このように鼻息を荒くして訴えておりますが、私たちの素晴らしい活動に共感していただき、また素晴らしい仲間たちを紹介するのはごく自然の行為であり、「勧誘活動」を広い世界で、そして確かに実践することで、自ずと会員は増えていくのだと思っています。成功へのキーワードは「全メンバーによる確かな実践」です。担当委員会だけが勧誘活動をしていくのではありません、「私」が主体的に組織の素晴らしさを伝えていくのです。担当委員会は言わば、そのサポート役として位置づけをします。そして、勧誘をしていくなかで肝に銘じてほしいのは、勧誘された側は、まさに今目の前にいる勧誘者を通してJCを想像・理解します。故に、しっかりとした知識や相応しい資質を身につけ、LOMの代表として折衝するに恥じない振る舞いをしていただきたいと思います。そして、青年会議所の会員として求められることを正確に、包み隠さず、候補者に伝えていただきたいと思います。そうすることで、新しい会員が戸惑うことなく、スムーズな活動に勤しんでいけるのです。

 たった今から、その活動は始まっています。早速思い当たる候補者に、私たちの素晴らしさを伝えてください。

最後に

 以上のようなビジョンを皆さんと共に考え、共に汗し、共に涙しながら実践して参りたいと考えております。本年のキーワードは「楽しさの伝染」です。「楽しさ」というのは決して娯楽や飲食、遊び心といった楽しさだけを表すものではなく、新しいことにチャレンジする楽しさや共に困難を乗り越えていく楽しさ、教養を身につける楽しさといった、さまざまな要素が複合的に絡み合った楽しさです。そして、そんな貴重な体験を体全体で吸収し、飽くなき向上心を持って自己を高めていきたいと考えております。

年度を終えるときに「今年も楽しかった」と思っていただくために、私は情熱を捧げ、仲間と語り、「楽しさを伝染」させるために率先して行動して参ります。皆様の一層のご理解とご協力をお願い申し上げ、そして私自身が皆様の信頼と付託に応えられるよう一層の研鑽を重ねていくことをお誓い申し上げ、結びとさせていただきます。

お問い合わせは

  • TEL 0166-22-9815(平日9時から17時まで)
  • TEL 0166-26-3235
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〒070-0043 旭川市常盤通1丁目
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